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 序章 曇りのち雨 [ きみのたたかいのうた ]

※09年映画『火の意思を継ぐ者』ネタバレ本です。

 曇天の空、重く垂れ込めた雲が重く垂れ込めている。
 通りゆく風が湿り気を帯び始めている。
 くん、とナルトは鼻を鳴らした。土のにおいが濃い。
 雨が近い。
 出掛ける前に点けっぱなしにしていたテレビで、アナウンサーが今日は一日晴れ時々曇りだと言っていたから、洗濯物を外に干してきたのだが、この分だと里に辿り着く前に降り始めそうだ。
 任務続きで溜まっていたから、結構な量を洗ったのだった────また洗い直しである。
 思わず鬱々としたため息が漏れた。
「なに辛気臭い顔してるのよ、ナルト。任務成功したってのに、あんたらしくないわね」
 それを見咎めたサクラにどん、と背中を叩かれ、たたらを踏んだ。綱手に弟子入りしたサクラは、意図せずとも十分に怪力である。
 背骨まで響く痛みにナルトはにへらと笑って見せた。
「洗濯物、干しっぱなしなんだってば」
 昼間だというのに暗くなりつつある空を見上げ、サクラは同情的な視線をくれる。
「天気予報じゃ晴れだって言ってたのにさ」
「テレビのせいにするなんて相変わらずフニャチンヤローだね。忍なら自分で天気くらい読むべきだよ」
 サイがにこにこと笑いながら辛辣な言葉を吐いた。
「ま、サイの言うとおりだねえ。諦めな、ナルト」
 イチャタクに目を落としたままのカカシにまで追い討ちをかけられ、ナルトは頭を掻き毟った。
「うがあああムカツク! 時間がなかったんだってーの! つかあっさりと言うな! 期待くらい持たせてくれたっていいじゃんか!」
 大体、ナルトが大量の洗濯物を急いで干しているその横で、「精が出るねえ」などと呑気に呟いていたのはカカシ、その人である。天気が崩れると予測できていたなら教えてくれてもいいではないか。
 ナルトはじとり横目で猫背の上忍を睨んだ。八つ当たりだ。
 そもそも、服が乾かずに困るのはナルトだけではない。カカシとて同じだろうに。
 恨みがましいナルトの視線は、しかしあっさりとカカシに無視された。
「はあー……」
 一頻り騒ぐと、ナルトはがくりと項垂れた。
 サイの言うとおり、自分で確かめればよかったのだ。ナルトとて忍である。昔ならいざ知らず、今の自分なら雲や風の具合、空気のにおいで天気を知るすべを持っている。忙しさを理由に怠ったのはナルトなのだから、自業自得なのである。
 へこんだナルトに何を思ったのか、サイが「まあ君がうっかりもので失敗ばかりするのはいつものことじゃないか」などと慰めだか喧嘩を売っているのだか分からない台詞と共に肩を叩いてきたので、取り敢えず歯をむき出しておいた。
「じたばたしなさんな」
 くしゃりと大きな手がナルトの頭を撫でた。
 ぺらり、と本をめくる音が続く。
 一気に頭が冷えた。
 カカシを見やる。
 本に視線を落としたままでよく真っ直ぐ歩けるものだと、毎度のことながら感心する。
 にやにやと怪しく笑いながら、ちゃんと足元の窪みや石を避けて歩いているのだから、上忍とは侮れないとナルトはいつも思う。無駄にスキルを使っている、とはサクラの言だったか。

 里の方角はいよいよ暗く、薄闇が訪れたかのように見える。丘を越え、門へ続く平原を歩くナルトの目に、降り出した雨が黒い靄となって見えた。
 ざあと正面から吹き付けてゆく風に水気が混じっている。
 ああやっぱり間に合わなかった、とナルトは嘆息した。

 盗賊退治の任務であった。
 盗賊といえど、犯す殺すをやらかす凶悪な類ではなく、道行く商人を襲い金目のものをいくつか奪ってすぐさま逃走する、というものだった。忍崩れの輩もはびこる昨今、被害としては軽い方だろう。普通なら村々の自警団などで十分対処できるレベルだ。
 しかし数の割に妙に逃げ足が速く手際もよいので、ただびとには少しばかり荷が重いのだと、忍の里にお鉢が回ってきたのだった。

 暗部出身の忍が二人に、三忍に師事した忍が二人。シカマルに「階級はともかく、看板だけで委縮しそうな班だよな」と言わしめた七班に、下す任務としてはあまりに易しいように思える。
 事実、サイの超獣偽画と、ナルトの影分身。サクラの作戦で盗賊たちはあっさり一網打尽になった。
 ────元木ノ葉隠れの忍であり、血継限界を狙う卑留呼と対峙した金環日食の日から、まだ時間はさほど経っていない。
 彼に狙われ、操られたカカシは一度卑留呼に取り込まれかけた。
 飄々と見せてはいるが、きっとまだ本調子ではない。それを考慮した任務だったのだろう。

 阿吽の門が見えた。
 ざあ、と雨が迫ってくる。
 里へ続く道が飲み込まれ、濡れてゆく。
「あらま、降ってきたね」
 いつの間にか本をポーチに仕舞い込んでいたカカシが呑気な声を上げた。
「もう、タイミング悪いわね」
 サクラが口を尖らせた。降るとは予測していたものの、後僅かで里へ帰り着くというこの状況下で濡れるのはやはり気分が悪いらしい。
「大丈夫だよサクラ」
「何がよ」
 淡い色の髪が濡れて色濃くなっている。
 髪から伝い顔に垂れる雫を鬱陶しげに払い、サクラが不機嫌にサイを睨んだ。
「君なら風邪を引いたりしないと思うし」
 うわあ、とナルトはサイから目をそむけた。サクラの額に青筋が浮かんでいる。
「はいはい、こんなところで睨み合わない」
 サイが殴られる鈍い音が響くだろうと身構えていたのだが、カカシがやる気なく間に入ったことで、流血沙汰は免れた。
 ふん、とサクラが鼻を鳴らす。
 雨は激しさを増しつつある。
 開かれた門から見える通りにも、人の姿はまばらだった。
「んじゃ、ちょっと早いけど解散にしよっか。お疲れさん」
 片目で笑んだカカシが、どろん、と煙を立てて姿を消した。報告書を出しに行ったのだろう。
 素早く姿を消した上司に、サクラが呆れたようにため息をついた。
「もう、びしょ濡れね。じゃあ私も帰るわ、お疲れ様」
「お疲れ、サクラ、ナルト」
 サイが片手をあげた。
「おう、お疲れだってばよ。んじゃまたな!」
 大きく手を振ると、どろん、どろんと音を立てて二人の姿が掻き消えた。
 ナルトは振っていた手をゆっくりと下ろし、歩き始めた。瞬身を使う気にはならなかった。ざあざあと流れる水は髪を伝い、服へ染み込んでくる。
 傘を差した人がすれ違い、濡れたナルトを訝しげな目で見ていった。

 雲が厚い。
 上空を覆う雲の向こうに、太陽がある。
 あの日、月に遮られこがねの光る環となった、太陽が。
 未だナルトのうちでじくじくと痛む傷がある。
 ────幾度となく、思い出す。
 カカシは躊躇いなく里に背を向けた。里の為、皆の為と自分の身を差し出した。
 去っていったカカシの背。
 卑留呼の元へ向かうカカシを必死になって追いかけた。暗がりへ飲み込まれてゆく背中が恐ろしくてたまらなかった。
 自分を遺してゆこうとしたカカシは何を考えていたのだろう。好きだ、と言った。言われた。そのナルトをあっさりとカカシは置いていった。
 ぞくり、と背中が粟立つ。
「……センセー」
 呟いた名前は雨音にかき消され、届かなかった。


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